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父親はよくドライブに連れて行ってくれた。 私がとなりの県の山の上まで自転車で行こうとしたことがあったが、 坂道が急すぎて途中で断念したという話をしたら、 それじゃあ車で行こうということになった。 二人でやいのやいの言いながら、その道を走っていて、 車が通るにはギリギリの道だった。 タイヤが道路からはみ出そうで、 はみ出したら確実に脱輪する山道だった。 それでも父親は文句ひとつも言わずに私を楽しませてくれた。 ソフトクリームもおごってくれた。 夏の暑いときだったので、体に染み渡った。 美味しかった。 山を超えると兄貴家族が住んでいる街に出た。 以前姪っ子のバレエの発表会に家族で行ったことがあるが、 その会場のすぐ横に抜け出た。 「へー、この道はここに繋がっているのか」と意外なルートがあることに関心していた。 それから父親がカラオケに連れて行ってくれることがよくあった。 父親とカラオケに行くなんて何年ぶりだろう。 小学校のとき以来だ。 記憶にも薄い。 中学校に入ってからは反抗期だったため、 父親が誘ってくれる釣りにも行かなかった。 今思えばもっと親孝行しておけばよかった。 当時は何もわかっていない子供だった。 それだけに父親とカラオケに行けることが嬉しかった。 父親から誘ってくれたこともテンションが上がった。 一、二ヶ月で三、四回は行っただろうか。 父親とは年が三十歳もはなれていることもあり、 選曲が合わないことも多かったが、 なるべく有名な知っている曲を歌ってくれた。 それでもたまに軍歌を歌うことがあって、 「それはさすがにわからないのでやめてくれ」と言っていた。 私も昔の曲を頑張って覚え、 父親の前で得意げに歌うのであった。 そうして親子の絆はだんだん深まっていった。 うつになって離婚してから両親の愛情を感じることが多くなっていた。 それは大きなものを失って手に入れた見返りのようなものだった。 |
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