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何もできない自分が歯がゆかった。 会社で募金活動をしていたので、少しでもと思い、千円募金した。 それぐらいしか自分にできることはなかった。 そんなことがあった翌々日に休日出勤があった。 地震があったからといって、仕事が減るわけがない。 この頃は忙しさのピークで毎週休日出勤を行っていた。 がらんとした職場で仕事をしていたが、だんだん頭が回らなくなってきた。 回路が組めないのである。 これはどうしたことかと思って一旦休憩を挟んだ。 深呼吸を終えてさあ仕事に取り掛かろうと思っても、やっぱり思考回路が停止しているのである。 これはやばいぞと思って、腕立て伏せをした。 体を動かせば頭が回復するのではないかと思っていたのだ。 その他にもエアコンのスイッチを触りに行ったり、トイレに行ったり、何か動かなきゃと思っていた。 でも結局仕事は手につかなかった。 辛かった。 信じられなかった。 このときはうつ病の知識もあり、自分はうつだと直感していた。 でもまさか自分に降りかかるなんて思ってもみなかった。 うつになる人はみんなまさか自分がなるなんてと思っているだろう。 私もその一人だった。 認めたくなかった。 でも仕事ができない現実を受け入れるしかなかった。 その翌週も仕事をしていたがこれは仕事にならないと思って病院に行った。 そしたら、案の定うつ病とのことだった。 このときは、うつ状態と診断された。 信じられなかった。 受け入れたくなかった。 でも受け入れざるを得ない。 自分はうつなのだから。 うつが現実になるなんて。 奥さんになんて言えばいいのだろう。 自分はまだまだやれると信じていたのに。 仕事の負荷と納期に追われ、半ば自分の能力の限界を超えて仕事をしているのはわかっていた。 でもまさかうつになるとは思ってもいなかった。 自分は強い人間だと思っていたけど、本当は弱い人間だったのだ。 うつになってから知ることだが、両親は強い。 約一億円の借金を抱えながらそれでも負けずに仕事をしているのだから。 私はというとその翌週から自宅療養というなんとも情けない結果になってしまった。 ⇒続き ⇒目次に戻る |
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