|
私は胸を高揚させていた。 二十二歳で大学を卒業し、新しく社会人としてデビューするワクワクした気持ちを抑えずにはいられなかった。 当時は、「いったいどんなに楽しいことが待ち受けているのだろう」そんなことばかりを考えていた。 クリーニングした新しいスーツに袖を通す。 とても気分が高らかだったのを覚えている。 早く大人になって自分の力でお金を稼ぎたいと思っていたので、それが叶うことになるなんて夢のようだった。 周りの新入社員を見ても皆意気揚々としている。 誰一人として社会人の辛さを味わうことになるとは思わない卵達。 皆憧れの気持ちを抱いていたように思う。 そんな中、四月一日からさっそく新人研修が始まった。 五ヶ月間無遅刻・無欠席というのは少しキツかったが、それでも全然苦にならなかった。 同期で互いを鼓舞し、お互い励まし合うことで何でも乗り越えられる気がしていた。 二ヶ月くらいで早々と配属先が決定していく同期。 少し寂しかったが、それでも同期という強い絆はずっと続くと思っていた。 所属先が違っても酒の場で語り合うことは幾度となくあるし、別に寂しくはないと思っていた。 そんなある日、五ヶ月経った頃私の配属先が決定した。 私の配属先は電子デバイスの開発・設計をするという部署だった。 当時は、音響系の仕事をしたかったが、新入社員が百六十人くらいいる中でたった一人だった。 しかもその一人は会社に入る前からそこに入ることが、決められていたという話を聞いてショックを受けた。 世の中理不尽だと思った。 それでも私の入った会社は第一志望だったので、そこに入れた自分は幸運だと思っていた。 なぜなら、推薦で入ったものの当初は私の学部では募集をしていなかった。 私の学部以外の三つの学部に推薦依頼が来ていたからだ。 それでも私はそこでめげず、自分もその会社になんとか入りたいので面接を受けさせてくださいと、大学の就職課に懇願しに行ったのだ。 二、三回通って、他の三つの学部の応募数が少ないからということで、私も面接を受けさせてくれることになった。 自分の力もあったが、粘り強く頼めば入れてくれることもあるんだなとラッキーを感じていた。 そうして気合と根性で入った会社だったので、第一志望の部署に配属されなくても、自分は恵まれているんだと思っていた。 一緒に配属された他の四人と胸高らかに所属部署に連れられていったのを覚えている。 そして、約半年間は高いモチベーションで仕事をしていたのだが・・・ ⇒続き ⇒目次に戻る
|
|
||