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職場に復帰してからそれなりに働けていた。 だんだんと不安感や絶望感が薄れ、仕事に集中することができるようになっていた。 オーバーワークでパンクしてしまった頭もそれなりにキレが戻ってきていた。 この頃、パニック障害で苦しんでいる先輩と隣だった。 先輩は発作が来るのが怖いと言っていた。 東日本大震災のときも発作がやってきて、 その光景を見てるだけで涙がポロポロと出てくると言っていた。 うつも辛いけれどパニック障害も辛いのだなと同情していた。 それでいて似た病気に悩める者同士親近感を抱いていた。 一緒に病気を克服したい、そう思っていた。 そんな頃、私は会社の同期と一緒に仕事をすることになった。 内容は同期の部署が外部にアウトソーシングした設計回路にミスがあって、それをうちの部署で調べちゃんと動く回路に修正するということだった。 うちの部署の仕事内容は回路設計だったので、外部に依頼した内容と同じ仕事をしていたのである。 回路設計のスペシャリストとしておかしな回路を元に戻すということにやりがいを感じていた。 それからは、シールドルームというところにこもって、検証作業をしていた。 まず回路におかしいところがないかアウトプットしている端子を調べる。 やっぱりおかしい。 それで内部の回路を見ていく。 他人の書いた回路はわかりにくかったが、 三ヶ月くらいかけてやっと原因を特定できるようになっていた。 中身は複雑だが、修正部分はちょっとだったため、回路修正にはそんなに時間がかからなかった。 それを実施して上司に報告した。 よくやったと褒められたことを覚えている。 純粋に嬉しかった。 私が復帰して最初の仕事だったので、こなせるか不安だったが見事やり終えることができてとても満足した。 しかし、回路を修正してからもまた新しい課題が出るのであった。 でもそれもなんとか原因を見つけて修正していった。 そしてそれをなんとかやり終えたある日、私はチーム異動ということになった。 実は上司に何かやりたい仕事はないのかと聞かれたので、 前々からやりたいと思っていたサポートの仕事を希望した。 サポートといってもお客様対応ではなく、 うちの部署の仕事の効率を上げるためのサポートだった。 私は第一線でバリバリ設計をやるよりも、縁の下の力持ちで人の陰に回る方が性に合っていると思っていた。 チーム異動を終えた私は「さぁ、やるぞ」と意気込んでいた。 しかし、後々これがアダとなるのであった。 ⇒続き ⇒目次に戻る |
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